あの工場から、
最初の一台へ。
一通のDMから、夜明け前の配達へ。未完成の二輪車を受け継ぎ、仲間とつくり直した、L-noa誕生までの二年。

午前1時。新聞販売店で、三崎優太が新聞の束ね方を教わっている。
外には、発売したばかりのL-noa。
発売の翌日、今度は自分が、この一台で新聞を配る。
ここまで、およそ二年がかかった。
THE JOURNEY
この一台ができるまで。
- 引き継ぐ二輪事業と、
つくり手の経験を。 - 体制を見直す生産の体制を、
一から見直す。 - 現場で、磨く新聞を積み、
使う人の声を聞く。 - 届けて、走る発売。そして自分も、
夜明け前の配達へ。
一通のDMが、届いていた。
自分でもバイクメーカーをやってみたい。SNSにそう書いた三崎へ、aideaの社員からDMが届いた。事業の継続が難しくなっても、バイクをつくろうとしている人がいた。
製造業には大きな資金が要る。経験もない。一度は断ろうと考えていたが、その後、2024年4月にバイク事故に遭う。乗れない間も、考えるのはバイクのことだった。
いつか、自分たちのバイクが走る景色を見て、あの日があったから今があると思いたい。事故後に語ったその願いが、決断につながった。譲り受けたのはaideaの二輪事業。未完成の車両と、開発者たちの経験を、新しい会社へ引き継いだ。
二人のいる、開発室へ。
訪れた開発室には、二人のスタッフがいた。上の部屋で設計し、下の工場で組み立て、試す。未完成の車両のそばには、すでに試してきたこと、うまくいかなかったことの蓄積があった。三崎の知らない開発の道のりを、その人たちは知っていた。
会社の印鑑は自分で注文した。設立書類に銀行印を押してしまい、実印で押し直す場面もあった。
2024年5月、三崎未来電子が生まれた。最初の会議はおよそ四時間。製造業について教わりながら、必要なことを話し合った。完成までの時間も費用も、まだ確かではなかった。
一度、つくり方を変えた。
試作車が走っても、そのまま売り出せるわけではない。品質、部品、製造費用、販売後の修理。事業を続けるには、すべてを考える必要があった。
当初は部品を集め、国内で生産する計画だった。しかし、その方法では販売後のサービスまで支えきれない。2024年末、つくり方を見直した。
自分たちの設計と、パートナー企業の知見を組み合わせる。新しい体制でも試行錯誤は続き、やめようと思った時期があったことも、後に明かしている。
自分たちで担うこと。
力を借りること。
自分たちで部品を集め、国内で生産する。
見直した体制
- 自分たちで設計・デザイン
- パートナー
企業と 共同開発 - 製造
パートナーと つくり上げる
販売後の修理や対応まで、続けられる体制へ。
ある日の講演で三崎は、やり切ったつもりでも、もっとできたのではないかと悔やむ夜があると話した。今日が戻らないから、思い立ったら動く。行動して初めて気づくことがあるのだと、観客に語りかけていた。
新聞を積んで、わかったこと。
最初の一台は、配達の仕事で使う人へ届けたい。aideaの頃から、完成を待ってくれている人もいた。2025年7月、読売センター幸手新聞店で、試作車に新聞を積んで使ってもらった。
返ってきたのは、以前より配達に時間がかかるという声だった。荷物を積んで停めるときの傾き、夜中に響く金属音。仕事で使って初めてわかる不便があった。直しては、また乗ってもらった。

新聞を積むと、
見えてくることがある。
約50件
試験導入で挙がった改善項目。
使う人の声を受け、一つずつ改良を重ねた。
写真は一次試作車です。
停めるときの傾き
スタンドだけでは、なかった。
サスペンションの長さや精度、フレームの取り付け位置まで見直した。
深夜に響く金属音
静かな街で、気づくこと。
スタンドを戻す音を抑えるために改良。走っていないときの使い心地も確かめた。
TESTING, LISTENING, REFINING
乗ってもらう。
話を聞く。また直す。
20店舗以上へ
2026年3月から、新聞販売店へ量産試作車を貸し出し、点検と聞き取りを続けた。


毎日、乗りたいと思える一台に。
仕事の道具だからこそ、乗るのが楽しみになるものにしたい。使いやすさと、働く人が誇りを持てるデザイン。その両方を目指した。
前には新聞を載せるかご、後ろには荷台。その条件のなかで、デザイナーと形を詰めた。フロントが平たく見えたときには、粘土を盛って輪郭を確かめた。毎日の仕事で使う人に、男性にも女性にも似合う顔つきを探した。
使う人の動作を一つずつ考え、2026年5月19日、MISAKIの第一弾となるL-noaを発売した。

手元ライト
新聞の銘柄を見分けやすく。暗い中での小さな動作を助ける。

フットブレーキ
足で操作できるブレーキを採用。配達を繰り返す仕事に合わせた。
午前1時、使う人の側へ。
発売の翌日、三崎は試験導入から付き合いのある新聞販売店へ向かった。自分たちのバイクが役に立っているか、配達して確かめるためだった。
新聞を揃え、束ね、後ろの荷台に約100部を積む。住宅街へ出ると、停まって、ライトで銘柄を確かめ、一部を抜き取る。投函したら、また走る。届け先を通り過ぎたときには、後退機能で戻った。
家ごとに違う新聞や順路を、どう覚えるのか。雨の日はどう備えるのか。つくる側から一歩入り、毎日使う人の仕事を知っていく。配達のあとには、これからも気になることを教えてほしいと伝えた。


嬉しかったのは、二台目の注文。
発売後、手元ライトが助かるという声と、追加の注文が届いた。7月の配信で三崎が喜んでいたのは、売れた台数以上に、自分たちの製品が受け入れられたことだった。
最初の一台は、自分を知っているから選んでもらえるかもしれない。けれど、商品が良くなければ、二台目、三台目にはつながらない。使った人が、もう一度選んでくれる。その意味を、メーカーになって知った。
開発者の経験、新しく加わった仲間の仕事、配達する人たちの率直な声。最初の一台は、多くの人の力で送り出せた。
いつか、自分たちのバイクが世界の道を走る。その景色を思い描きながら、まずは、目の前でこの一台を使う人に、もう一度選んでもらう。
現場に立ち、使う人の声を聞く。仲間とともに、一つひとつ直していく。自分たちが胸を張って届けられる一台をつくるために、その仕事は、発売のあとも続いている。
